回り灯籠

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紅葉(黄葉)の高尾山で遭遇したシベリア抑留者と硫黄島戦没者の慰霊碑など①

14日の日曜日。快晴。東京都の西部、神奈川県境に近い高尾山が紅葉の見頃を迎えるというので家内とハイキングに行ってきた。高尾山に来たのは2度目。標高599メートルの低い山だから特別な登山装備は必要ない。もっとも、登山コースはいくつもあり、難路を行く人はそれなりの備えが必要だ。我々は紅葉を楽しむのと運動不足の解消が目的であり、無理なことをするつもりはない。

高尾山口駅を降りてケーブルカー&リフト乗り場に向かう。人出が多く、道はごった返していた。高尾山遊歩マップを見ながらその日一日の計画を立てた。

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高尾山遊歩マップ

上りは歩きやすい1号路(赤)を行く。さる園は素通りし男坂を上って薬王院にお参りする。そこから再び1号路とたどって頂上へ。着いたら弁当を食べ、景色を眺めて一休み。帰りは4号路(ブルー)を下り、途中の吊り橋がどんなものか体験してみよう。それから1号路に合流し、リフトに乗って下山。駅の近くでとろろ蕎麦を食べて帰路につく。

ざっとこんなイメージで出発した。ケーブルカー&リフト乗り場は長い列ができていたが、我々は「高尾山薬王院」の石柱のところから1号路に進んだ。

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高尾山1号路の起点

こちらも人が多い。それも中国人(or台湾人)が多いのには驚かされた。若い人の集団もあれば家族連れもいる。今時観光で来る外国人はいないはずだから、留学生か日本で長く生活している人たちだろう。あちこちから中国語が聞こえてくる。

なだらかな山道だが、ずっと上り坂というのはやはりきつい。以前、子供がまだ小さい頃に登った時は、きついなんて感じなかった。息子は走って登っては、後ろを振り返って「早く、早く」と言う。娘は最初は元気よくお兄ちゃんの後を追いかけていたが、じきに疲れて「歩きたくない」と言い出す。「だっこ、だっこ」と甘える娘を抱えて登ったっけ。それでも疲れを感じた覚えはない。

この程度の山道でふうふう言っているようではどうしようもないなと思いつつ、無理せずゆっくり登った。それに家内を置いて1人でずんずん登っていくわけにもいかない。鬱蒼とした杉林の道を登りきってケーブルカーの高尾山駅近くに出た。見晴らしもよく、紅葉(黄葉)が美しい。

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ケーブルカーの終点、高尾山駅

売店がいくつかあり、高尾山名物の天狗焼きの店に人が密集していた。よく見ると5折か6折ぐらいの行列になっている。一応、最後尾に並んでみたが、係員に聞くと「50分ぐらいですかね」と言うので断念。

再び1号路を歩き出す。巨大な蛸杉(何本もの太い根が地上を這うように延びていることから名付けられた)を左手に見て先へ進み、薬王院浄心門をくぐる。ここまで来ると、高尾山登山とは、実は薬王院への参拝と一体のものだと気づかされる。

男坂の石段は108。「煩悩よ、去れ」と念じながら一段一段上っていく。その途中だったと思うが、「苦抜け門」と書かれた小さな石の門をくぐって脇を上る細い階段があった。上に何かあるらしい。矢印の下に「シベリア抑留者慰霊碑」と書いてある。門をくぐったり戻ったりして子供たちが遊んでいるが、上に行く人はいない。

気になって上ってみた。すると上りきったところに開けた平地が現れ、真っ白い巨大な仏舎利塔の裏側に出た。右手方向には石碑がいくつか並んでいる。

一番手前のを見ると、白い小さな看板に書かれた「嗚呼シベリア鎮魂歌」の文字が目に飛び込んできた。横に立つ石碑には「望郷 シベリアに眠る抑留者供養碑」と刻まれている。急に切ない気持ちがこみ上げてくる。

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「嗚呼シベリア鎮魂歌」。どんなメロディーなんだろう?

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望郷 シベリアに眠る抑留者供養碑

60万人とも言われる日本人捕虜のシベリア抑留は、旧ソ連の犯した残忍な蛮行だ。酷寒の地で多くの同胞が奴隷のように酷使され、ぼろぼろになって死んでいった。これは戦前、戦中の出来事ではない。戦争が終わった後に起きた悲劇だ。非は日本にはない。蛮行を犯した主体は旧ソ連であり、現在のロシアである。

ソ連崩壊後、新生ロシアのエリツィン大統領はスターリンの蛮行を謝罪したが、形式的な謝罪にとどまっており、そこには「戦勝国が敗戦国から人やモノを分捕るのは当然」という認識が透けて見える。おそらく今のロシア人には、日本人のシベリア抑留への罪悪感などほとんどないだろう。あれば、北方領土の返還にあれだけ抵抗するはずがない。

プーチン大統領は歯舞、色丹の返還を約束した1956年の日ソ共同宣言ですら履行する気がないのである。「宣言には『引き渡す』と書いてあるが、主権まで渡すとは書いてない」などと、およそ誠実な人間なら口にできないような詭弁を平然と言ってのけるのがプーチンという男だ。一般のロシア人や識者からも、それを批判する声は聞こえてこない。

だいたいロシアが戦勝国というのもおかしな話で、ロシアはナチス・ドイツと一緒になって第2次世界大戦を起こした張本人ではないか。1939年、ドイツと共にポーランドに侵攻して同国東部を占領したのはソ連である。ソ連はさらにフィンランドにも侵攻した。この歴史を消し去ることはできない。そんな侵略国が、今では堂々と戦勝国を名乗って過去の悪行から目を背けているのだから、悔しいが手も足も出ない日本人の1人としては「この世に神も仏もあるものか」と呪いの言葉の一つも吐きたくなる。

北方四島が無条件で返還されてこそ、シベリア抑留者の魂も多少は慰められるだろう。だが近い将来、そんな日が訪れると予感させるような出来事は、現時点では残念ながら何もない。

シベリア抑留者供養碑建立のいきさつが、現経産大臣・萩生田光一氏の2010年10月29日のブログに書かれている。

blog.livedoor.jp

 高尾山薬王院仏舎利塔の脇にこの度「シベリア抑留者の供養碑」が建立され除幕式に出席した。自らも抑留経験のある長房町の佐藤甲子雄(かしお)さんが私財を投じ、日本の土を再び踏む事の出来なかった同胞の為、永年にわたり準備をしてきた供養碑だ。

 日ソ不可侵条約が結ばれていたにも関わらず終戦間際の8月9日、ソ連軍は満州へ侵攻し日本兵や一部の民間人を収容所へ送り込み最終的に約60万人が抑留された。第二シベリア鉄道に代表される過酷な労働を酷寒の地で強いられ、餓えや伝染病で約6万人が亡くなった。

 一方、収容所では共産主義を強要する「民主化教育」が行われ、従わない者は集団でリンチに合うなど非人道的仕打ちが連日行われたと言う。

 止むを得ず共産主義のふりをした人々も今度は帰国後、「シベリア帰り」と思想レッテルをはられ就職の差別を受けるなど想像を絶する苦労が続いたそうだ。幸い佐藤さんは4年8ヶ月の強制労働に耐え帰国する事が出来たが一日たりとも仲間の事を忘れた事は無かったと言う想いが供養碑の建立を後押ししたのだろう。

私財を投じて供養碑を建立された佐藤氏も偉いが、境内の敷地を提供した薬王院の度量の広さにも感服する。私は碑文を細部まで確認しなかったが、供養碑を参拝した方がホームページで詳細な情報を公開している。

それによると、碑面の左側には「大本山高尾薬王院貫首隆玄謹書」と刻まれているという。第32代大山隆玄貫首の書ということだから、大山貫首の深い理解があって高尾山中に建立されることになったのだろう。(この項つづく)