日本のメディアはプーチンの偽情報を真に受けて、プーチン率いるロシアのあからさまなウクライナへの武力威嚇、そして侵略に対して腰の引けた報道を続けている。今日夕方のTBS報道特集でもプーチンの「西側は約束を破った」発言をそのまま紹介していた。
FNNプライムオンラインでは、木村太郎氏までが「西側は『NATOは1インチも東方へ拡大しない』と約束したのに破った」というプーチンの発言について、約束があったかどうかはっきりしないとしながらも、事実上プーチンの言い分を認める主張を述べていた。
木村太郎氏は、「NATOの東方への不拡大約束」なるものは口約束であり、公式記録にないので拘束力があるかどうかは疑わしいが、NATOが東方へ拡大すれば、それはロシアにとって脅威となり、特にウクライナがNATOに加盟すれば「NATOの矛先が直接ロシアの脇腹に突きつけられることになるわけで、到底容認できないことだろう」とロシアの肩を持つようなことを述べている。
私が愛聴している日経モーニングFTも、2月4日放送で、無批判にプーチンの言い分を紹介していた。ドイツがウクライナ支援に及び腰な理由を解説する中で、欧州情勢に詳しい桜庭キャスターは次のように述べた。
一方、プーチン大統領がNATO東方拡大を許さない根拠の1つとしてよく挙げるのが、西側諸国に約束を破られたということですが、引き合いに出されるのがドイツの政治家エゴン・バール氏の未公開の会談記録です。1990年にソ連側に「NATOを中欧に拡大してはならない」と断言していたとされます。結局、今も社会民主党には東方外交の薫陶(くんとう)を受けた党内の長老が多く残っていることでショルツ首相の外交上の足かせになっていると言えます。
ドイツのベアボック外相は対ロシア強硬派だが、ショルツ首相は同外相とは一線を画しロシアに及び腰の姿勢を取っている。その理由が、ショルツ氏の属する社会民主党が旧ソ連に融和的だった東方外交の影響を引きずっており、NATOの東方拡大によってロシアを刺激することに否定的で、エゴン・バール氏の発言は今も生きている、と言いたいようだ。
しかし、エゴン・バール氏がドイツ統一交渉の中でこういった発言をしたとしても、それは交渉の駆け引きの中で出た発言に過ぎず、NATOの東方不拡大を約束した合意文書は存在しない。口約束さえも、あったという証拠はない。
だいたいソ連がNATOの東方拡大を本気で恐れていたのなら、必ず明文の合意文書を作ったはずだ。それが存在しないことが、そんな約束がなかったことを雄弁に物語っている。
「NATO東方不拡大の約束はない」と交渉当事者のゴルバチョフが証言
極めつけは、当時のソ連側の交渉当事者であるゴルバチョフ大統領が、交渉の中でNATOの東方拡大の話は出なかったと証言していることだ。
これについては、ソ連研究者の重鎮、袴田茂樹氏が明らかにした。
袴田氏は「露紙『独立新聞』(2015.12.15)が掲載した、1990年代初めルツコイ副大統領の報道官で、その後は作家、評論家として活動したN・グリビンスキーの論文の一部」を取り上げ、次の箇所を引用している。
NATO拡大に関し、「欧米はゴルバチョフに拡大しないと約束した」というのも神話だ。ゴルバチョフ自身が2014年10月16日に、「当時はNATO拡大の問題そのものが提起されなかった。それは私が責任をもって確言できる」とRussia Beyond the Headlines(露の英語メディア)で述べている。当時ロシアは西側諸国にとって敵ではなく、彼らの同盟国やパートナーとなると期待されていた。必然的に、ロシアがリベラルな民主主義の路線から離れれば離れるほど、ロシアにとって「NATOは敵」というイメージが強まるのだ。
「欧米はNATOが東方拡大しないと約束した」というプーチンの主張が、真っ赤なウソだということがこれでわかる。交渉当事者本人が、「当時はNATO拡大の問題そのものが提起されなかった。それは私が責任をもって確言できる」と証言しているのだから。
木村太郎氏は、先の記事で、
「東方」という表現は「旧東独」のことなのか「東欧」までも含む言葉なのかもはっきりせず、……
と述べているが、これはゴルバチョフ証言から考えても「旧東独」のことに決まっている。欧米側がドイツ統一を勝ち取るために、ソ連を説得する材料としてNATOを旧東独地域へ拡張しないと言ったのである。それが「東方拡大しない」という言葉の真意である。東欧や中欧を含むような意味合いはない。
しかも、ゴルバチョフは最終的に旧東独地域を含む統一ドイツのNATO加盟を認めたのだから、その時点で、交渉中に発せられた「東方拡大しない」発言は完全に過去のものとなったのである。
NATOは敵なのか?~鏡に映った自分の姿に怯えるプーチン
木村氏はウクライナのNATO加盟がロシアの脅威になると言っているが、上記グリビンスキー論文の引用の後半に注目すべきだ。
必然的に、ロシアがリベラルな民主主義の路線から離れれば離れるほど、ロシアにとって「NATOは敵」というイメージが強まるのだ。
グリビンスキー氏はこう書いている。
ロシアが民主主義、自由主義体制をとり、欧米諸国と協調する道を選ぶ限り、NATOは敵でも何でもない。ロシアが独裁と専制体制への道を突き進んでいるからNATOが敵に見えるのである。NATOを敵視する要因は、NATOにあるのではなく、ロシア自身にある。
NATOの東方拡大は、国際社会の普遍的原則である国連憲章の精神にかなうものであり、外敵の脅威から自国を守るための正当な行動である。それを脅威と感じるのは、鏡に映った自分の姿に恐れおののくようなものだ。
中欧、東欧諸国がこぞってNATO加盟を求めているのを見て、ロシアが考えなけばならないのは、自らが過去、いかにそれらの国々の人々に残忍な振る舞いをし、戦争を仕掛け、自由や人権を抑圧してきたかということだ。プーチンは第二次世界大戦の戦勝国を気取っているが、世界の人々は、第二次大戦開戦と同時にドイツと共にポーランドに侵攻したのがソ連だったことを決して忘れていない。ソ連はフィンランドにも侵攻している。
プーチンにもロシアにも過去に対する十分な反省が見られない。それでいてロシアは核大国であり、その気になればいつでも核攻撃できる態勢をとっている。
プーチンは2015年に、クリミア併合の際、核兵器の使用も考えていたことを明らかにした。
隣の国が核使用をちらつかせている中で、ウクライナが心穏やかでいられるはずがない。これが中・東欧諸国が万が一の事態に備えてNATOに頼ろうとする理由である。
プーチンが東方拡大するNATOを非難するのは、まさに根拠のない逆恨み、今風に言えば逆ギレだ。
昨日も書いたように、ロシアがウクライナを侵略したことには一片の正当性もない。「欧米側にも問題があった」などと言う人間は、私には正気を失っているとしか思えない。