医療・経済界有志が設立した「ニュー レジリエンス フォーラム」(共同代表=河田惠昭・関西大学特命教授・社会安全研究センター長、松尾新吾・九州経済連合会名誉会長、横倉義武・日本医師会名誉会長)が日本国憲法に「緊急事態宣言」に関する規定を盛り込むよう求める提言をまとめたようだ。
近く、岸田首相に申し入れを行うという。
以下は産経新聞の報道から。
要するに、憲法に緊急事態条項を設けよ、ということだろう。彼らは医療や災害の現場での実体験から、政府の緊急事態対応が手ぬるいことに危機感を覚えている。
なぜ政府の緊急事態対応は手ぬるいのか? 私権制限を伴う厳しい対応を取ろうにも、そもそもそれを可能にするような法律が作れないためだ。「公共の福祉」を理由に、ある程度の私権制限はできても、所詮は「ある程度のこと」しかできない。
おまけに、野党やマスコミが強力な私権制限は憲法違反だと言って反対するから、ちょっと厳しめの法案を出すともう通らない。
新型コロナの特措法でも、飲食店の営業時間短縮は「要請」しかできず、違反店舗への過料は野党の反対で金額が引き下げられた。その結果、「罰金(過料)を払ってもうちは営業する」という店が続出し、正直に要請に従った店が損をした。
コロナ感染者が、入院先を無断で抜け出してあちこち移動するという事件もあった。特措法の原案では、入院拒否者には刑事罰(1年以下または100万円以下の罰金)を科すことになっていたのに、これも野党の反対で行政罰に変更され、過料も50万円以下に減らされた。
違反すれば前科が付く刑事罰は、入院拒否者を出さないための強力なツールになる。しかし、「私権制限は最小限に」という日本国憲法の下では、やろうとしてもできないのだ。野党や左派系のマスコミには「憲法違反の疑いがある!」という殺し文句がある。
ところが、コロナ禍が長引くにつれ、国民の中から「政府の規制は弱すぎる。もっと強力な規制をやってもいいから、短期間で感染を終息させてほしい」とか「お願いや要請では効果がない」「ぬるい規制をダラダラやっても効果はない」といった声が上がるようになった。
しかし、憲法に緊急事態条項がない以上、強力な私権制限を伴う施策は打てない。海外では当たり前のロックダウン(都市封鎖)も日本ではできない。
もちろん、日本にロックダウンはなじまないという意見もあるだろう。だが、なじむかなじまないかは事柄の性格による。
新型コロナウイルスよりもっと強力な感染症が発生したときは、ロックダウンが有効かもしれないではないか。その時になってそれをやろうとしても、「法的根拠がないからできません」では話にならないではないか。
憲法も法律も、最悪の事態を想定して作成されるべきものだ。最悪の事態が起きたときは、国民の私権を一時的に制限してでも国家共同体全体を救わなければならない。だからこそ、ほとんどの国の憲法に緊急事態条項が書き込まれている。
緊急事態条項創設のための改憲に反対するなど、自分勝手も甚だしい。
ニューレジリエンスフォーラムの設立総会(2021年3月)報告集(PDF)には、河田恵昭氏の次のような激烈な挨拶が載っている。
「罰則規定を設けないとどうしようもありません」は、「強力な罰則規定を設けないとどうしようもありません」の意味だろう。
それにしても、
私は、絶対東京では泊まらないことにしています。首都直下地震が起こったら、ここで死ぬしかないからです。その時は日本が潰れます。
の言葉は重い。さらに河田氏は言う。
そこ(災害)と戦うためには、法律をきちんと整備しないと負けます。そして、その根拠規定である憲法のあり方をしっかり議論すべきです。今起こって困ることになぜ対応しないのでしょうか。
重大災害が起きたときは、もはや平時の法律は通用しないと身に染みて分かっているのだ。
野党の愚かな連中は、コロナ禍で緊急事態条項の必要性を言うと、「コロナ禍のどさくさまぎれに改憲するなんてもってのほか」と言う。ロシアによるウクライナ侵略を目の当たりにしても、「ウクライナ危機に便乗するな」と言う。
一方で、平時に改憲論議の必要性を言うと、「もっと重要な問題が他にある。そっちを優先すべきだ」と言って逃げる。
安倍内閣時代は「安倍内閣の間は改憲議論はしない」と言い、菅内閣になると「安倍政権の亜流内閣だから議論しない」と言っていた。
なんだかんだ屁理屈を言って現実から目をそらし続ける一部の野党勢力には、憤怒の念さえ覚える昨今である。