回り灯籠

憲法9条を改正して新しい日本を築こう

安倍元総理の死を悼み、自民党本部で記帳し献花した

自民党ツイッターに「15日(金)の午後5時まで記帳・献花台を設けている」と出ていたので、時間を調整して妻と永田町の自民党本部に足を運んだ。

増上寺での告別式ならびに官邸・国会議事堂周辺での最後のお別れが済めば、多少すくだろうと思って行ったのだが、雨にもかかわらず、かなり長い行列ができていた。

20~30代とおぼしき若い男女が意外に多く、子供連れのお母さんも結構いた。

制服やセーラー服姿の高校生も目にした。もちろん中年の人たちもたくさんいた。きちんと喪服を着ている人もちらほら。

高齢者は少ないと感じたが、これはやはり永田町まで来て長時間並ぶのが大変だからだろう。

雨に濡れる自民党本部

雨空の下、列の最後尾に付いてちょうど1時間。テント内でまず記帳。その後、隣のテントに移動して献花した。

前の若い女性は、手を合わせてかなりの時間祈りを捧げていた。

そのせいか、私も黙祷を始めたら自然と安倍元総理の業績が次から次へと頭に浮かんできて、なかなかお祈りを終えることができなかった。

「日本を取り戻す」闘いに挑戦し、大きな成果を残された安倍総理。日米同盟をかつてないほど深化させた安倍総理。強いリーダーシップを発揮して、限定的とはいえ集団的自衛権の行使に道を開き、憲法改正に手が届くところまで国民世論を引っ張ってこられた安倍総理

改憲が成った日を見ることができず、さぞ無念でしょうが、今はただ安らかにお眠り下さい。

職員や献花する人が写り込まないように献花台の一番左端で撮影。あまりいい写真が撮れず残念

献花台の花々は、ちょっと増えるとすぐ職員がボックスに移し(上の写真の左側に見える)、台車で運んでいってしまう。

献花台一杯うずたかく積み上がった花々と、それらに囲まれるように飾られた遺影を期待していたのだが、予想した光景と違ってちょっと拍子抜けした。

ところで、並んでいるとき、自民党本部の建物をみると半旗が掲揚されていた。

私の家では訃報のあった翌日から弔旗を掲げた。

安倍さんと親交の深かったモディ首相のインドが、7月9日は国中で喪に服すると発表したので、日本国民としては弔旗なり半旗なりを掲げるのは当然のことと思ったからだ。

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ところがどうだ。近所を歩いても、最寄りの駅周辺に行っても、弔旗や半旗を掲揚しているお宅が1つもなかった。

なんということだろう。ひどくガッカリした。

日本人の間でこれほどまでに国旗への愛着が薄れているのはなぜだろう。「玄関に国旗を掲げると右翼と思われるからイヤ」ということなのだろうか?

安倍元総理の死を悲しみ、嘆き、悼み、憤る人は大勢いる。そのことは記帳や献花に訪れる人の多さを見ても明らかだ。それなら街のあちこちで弔旗や半旗を目にしても良さそうなものだが、そうなっていないところに一抹の寂しさを感じる。

それはともかく、今秋国葬を行うと決まったのはとても喜ばしい。

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岸田総理の決断で官邸内の慎重派を押し切ったとのこと。官邸内に慎重派がいたこと自体が驚きだが、そんなボンクラに惑わされず、偉大な元総理大臣の葬送にふさわしい形を選んで下さったことに感謝したい。